本ブログでは、「好き」を実現するということと、「稼ぐ」ということを実現するライフスタイルとは何か? ということを軸にこれまで起業家に話を聞いてきました。
しかし、回を重ねるにつれ、また起業や副業・複業の本を読むにつれ、生き方というのは様々で、「これだ」という正解はないことを知ることになりました。
そして、冒頭の二つを実現する生き方において、今回は新しいテーマを対談ベースでお届けけしていきたいと思います。
今回はビジネス書要約サービス フライヤーの執行役員の井手琢人さんに話を聞いていきます。
井手さんは1社目がWOWOW(テレビ局)、2社目があさ出版(出版社)、3社目がフライヤー(IT企業)という業界をまたいで、さまざまなキャリアを積まれています。
その一方で、ラーメンライターとして数多くの媒体での記事執筆を行い、ラーメン、音楽を軸にSNS・YouTubeによる発信を続け、複数の「好き」をマネタイズするまでに昇華しています。
今回は井手さんのキャリアの変遷をたどり、「好き」とどう向き合ってきたのか、聞いていきたいと思います。
井手琢人さんのプロフィールはこちら
2017年より株式会社フライヤーに参画。前職よりビジネス書の企画、プロモーションに数多く関わる。
個人では「井手隊長」名義で全国47都道府県のラーメンを食べ歩くラーメンライター&ミュージシャンとしても活動中。東洋経済オンライン、AERA dot.への連載の他、テレビ番組・雑誌の監修、コンテスト審査員、番組・イベントMCなどで活躍中。
■学生時代からの「好き」を軸に就活
―今回は、お忙しい中対談のお時間をいただき、誠にありがとうございます。井手さんにはお聞きしたいことが山ほどあります! まずは井手さんのこれまでをお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?
ありがとうございます。
私は、早稲田大学を2003年に卒業しましたが、当時バンドデビューをしたかったんです。学生時代はバンド活動を数多く行い、もちろんプロになるための練習も積んできました。
しかし、やはり狭き門で思いはかないませんでした。
卒業にあたり就職活動を行うことになりましたが、自分の好きだったことを活かしたいという考えで勝負したいと思い、それ以外に時間をかけたくないと思いました。
そこで、自分が好きだったことに向き合いました。
大学時代を振り返ると、「音楽」「ラーメン」「野球」そして、文学部で勉強していたこともあり、「活字」が好きだということを改めて再認識したのです。
ですから、それを軸に就職活動をはじめました。
音楽であれば、サザンオールスターズが好きだったので、「サザンを見ることができるかもしれない」と考えテレビ業界を、ラーメンであればお店などの情報を雑誌記事で読んでいたので雑誌社を、野球であればスポーツ新聞を読んでいたので、新聞社へアプローチをかけたのです。
その中で、当時音楽番組やスポーツ番組のコンテンツを多数配信していた、WOWOWの採用試験を受け、入社することとなりました。
―ご自身の趣味を軸に、採用試験に臨んだんですね。当時から今の「好きをテーマに」という生き方を大事にされていらっしゃったんですね。WOWOWではどういったことをされましたか?
WOWOWではメディア事業部に所属して、CMセールスやスポンサー募集、イベントの開催、ショッピング放送の担当を行いました。いわゆる放送外収入を支える部署です。
基本的にWOWOWは契約世帯の視聴料が大きな収益源なのですが、それ以外の収益源を稼いでくることがメディア事業部のミッションだったのです。
本当は音楽をやっていたので、音楽事業部のような専門部署に行きたいと考えていたのですが、いざ働いてみると、メディア事業部の活動はとても楽しかったです。
もしかしたら自分は「広告・宣伝」が向いているのかもしれないと考えるようになりました。
このあと私は、プロモーション部への配属になりました。
ここではWOWOWの事業活動を世に広める宣伝・広報活動を行ったのです。
具体的には、宣伝をうったり、PR活動を行ったりしました。
ですから、2つの部署で「宣伝をもらう」・「宣伝を出す」両方の立場を経験することになりました。
そして、テレビ局の宣伝に若いうちに関わることができたのは財産になりました。
当時は20代でしたが、多くの金額が動く宣伝案件を担当することができ、世の中のトレンドや企業のダイナミックな動きを知る前線にいることができたのです。
こういった活動をしていくうちに、「宣伝・PR活動」を軸に自分のキャリアをひろげていきたいと考えるようになりました。
―20代の経験って大切ですよね。その後の人生の進路をきめるように思います。WOWOWには合計何年くらい、いらっしゃったのですか?
合計で7年半ですね。ですから、さまざまな事業に携わることができ、宣伝・PR事業の一連の流れを押さえることができました。
■「自分の強み×好き」でキャリアチェンジ
―そして、このあと出版業界に転職されるわけですが、そのあたりの経緯を詳しくお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?
最初のほうで少し触れましたが、文学部出身ということもあり、本はとても好きでした。
ですから、この時も自分の好きを重視し、出版業界に転職をしようと考えました。
その時ちょうど、あさ出版という出版社が宣伝部をこれから立ち上げるということで採用活動を行っていました。
採用の面接を受けた際に社長から「経験を活かして自由に活動してくれ」と言われました。そういったチャレンジ精神に惹かれ、あさ出版に入社を決めました。
―ご入社はいつ頃のことですか?
2010年くらいですね。
―当時私も別の出版社で営業活動をおこなっていましたが、このころ、出版社が宣伝を重視する動きがでていたように記憶しています。ただ、まだまだ人材が不足していましたし、そもそも宣伝部がない会社って結構ありませんでしたか?
本当に少なかったですね!
だからとても大変でした。
例えば「他社はこういった成功事例がありますよ」とか「○○社の話を聞いてきたんですけど……」みたいにコネクションをつかって、会社にプレゼンすることもできませんでした。
また、業界が全般的にそういった感じだったので、宣伝・PRに関する会社の認識も当時はまだ低かったように思います。
ですから、まず「宣伝活動がなぜ必要なのか」といったところから会社に説明をしていきました。
さらに活動しようにも「宣伝予算を組む」という考えもなかったので、年間の計画や媒体社へのアプローチの仕方を説明し、しっかりと予算を組んでもらうところから始めたのです。
原資があるのとないのとでは全然成功する確率が違いますからね。
もちろん活動してうまくいった事例は都度報告をし、「宣伝は重要だ」という認識を高めてもらうことも怠りませんでした。
一からのこういった活動はとても大変でしたね。
ただ逆にいうと、これまで宣伝活動を行ってこなかったということは、伸びしろしかないですよね。
自分が施策を実施し、「昨年よりも本の露出が下がった」とか「本が売れなくなった」ということはほぼなく、逆にやればやった分、どこかで大きなリターンがきたり、じわじわと本が認知され、売れていくというポジティブな影響が多かったので、とても楽しかったです。
そして、業界通じて「本を広げていく宣伝の勝ちパターン」はない状況でした。
だから、それも切り開いていっている感覚になりました。
―まさにゼロイチな感じがありますね!
当時はビジネス書を媒体社にアプローチするという活動もあまり行われていなかったので、まずそういった活動を知ってもらい根付かせるというところかただったように思います。
しかし、あさ出版で拡販し、成功した方法が他社さんでも行われたり、自社の商品がどんどん媒体に掲載されていくのをみて、出版社における宣伝の大きな可能性を体感したことはとてもうれしかったです。
―特に『まんがで身につく 孫子の兵法』などはよく電車広告でみかけました!
「あさ出版っていきおいあるなぁ」と驚いたのを覚えています。
ありがとうございます! 今では書籍の宣伝活動もかなり行われるようになり、広く根付いた感じにはなっていますね。 ただ、そうであるからこそ今は今で宣伝活動は大変だと思います。
私があさ出版でタイムリーに書籍の展開と合わせて効果のある広告を打てたのは、「現場を知っていたから」でもあります。
人数が少ない会社だったので、宣伝だけではなく、書店営業や取次へのアプローチもやりましたが、それを行うことで、取引先が求めている広告の手法や、出稿のタイミングなどもダイレクトに感じました。
―答えは現場にありですね。出版営業を15年やっていたので、よくわかります。
「書店に本がないのに、新聞広告を掲載してもね」みたいなことをよく書店さんからも聞きました。
ですよね。一つのアプローチでお互いの信頼関係を大きくできるのも宣伝部のいいところですが、効果のない施策をやってしまうと逆の結果になってしまいますから。
■激変期の中にいたい
―ありがとうございます。さて、ここからいよいよ今ご活躍されている会社である、ビジネス書要約サイト フライヤーへと入社されるのですが、このあたりの経緯を教えていただいてもよろしいでしょうか?
まず、年齢がありました。
今の転職市場はどうなっているのかわかりませんが、当時私がフライヤーに転職を考えていたころは、35歳で最後の会社を決めるというか、それより上の年齢での転職は間口が狭まってしまったり、収入が上がりづらかったりということが世間的に考えられていたのです。
ですから、いったんキャリアを考えようとおもったのです。
そこで出版業界を俯瞰してみると、電子書籍の隆盛やウェブメディアの台頭などもあり、大きな変革を余儀なくされていました。
ここでドラスティックに「本」というコンテンツが変わるのかどうか、見てみたいと思ったのです。
ですから、「出版業界にい続けよう・関わり続けよう」とは考えていました。
自分は時代の激流期にいることが好きです。
WOWOWにいたときにもちょうど「地上アナログ放送」終了の時期にぶつかりました。当時WOWOWの契約世帯のうちの多くがアナログ契約のまま。それらの世帯にうまくデジタル放送に移行してもらえないと、経営に影響がでる状態だったのです。
どうにか、会社は難題である移行を成し遂げましたが、自分の人生においてはこの経験は大きなものになっています。
出版界も今変動の時。
より良い変化になっていくよう、関わっていきたいと考えました。
―まず時代の激流の中にいたいということだったのですね!
はい。もう一つは、「良い本をすすめていきたい」ということです。
あさ出版にいたころはあさ出版の良好書を書店に販促していました。
会社を代表して営業や宣伝活動を行うわけで、当然そうなるのですが、世の中にはほかにもたくさんの良書があります。
自分が良いと思えるすべての本をすすめていきたかったんです。
ですから、今お話しした二つの観点でフライヤーへの転職を決めました。
質の高いビジネス書を読者に知ってもらうために、本の要約を作成し、配信していること。
そして、出版社とはお金のやり取りを行わず、要約の掲載許可をとりながらしっかりとしたコンテンツを配信していること。
これらのスタイルに惹かれました。
当時はまだ出版社とのコネクションが少なく、要約の掲載数も多くはありませんでした。
ですから、自分が参画することで、より多くの出版社にアプローチをかけ、そして、良書の要約の掲載が増えることで、より多くのユーザーにアプローチできると思いました。
―とても熱い気持ちを聞かせていただきありがとうございました!
そして、出版業界に携わるものとして、これからの井手さんの活動にエールを送りたいと思います。
次回は井手さんに「読書」について、そして、「複業」について聞いていきます。井手さんは本のほかにも「ラーメン」「音楽」について記事を書いたりSNSなどで発信をしたりしています。
それらの活動への想いなども伺うことで、新たなキャリアが見えてくると思います。
引き続きよろしくお願いします。
お願いいたします!