キャリア

仕事術をつきつめて、キャリアを磨く

今回はキャリアについて聞いていきます。

前回の井手琢人さんからは複数の趣味を副業・複業までに昇華するパラレルキャリアにかんして伺いました。

今回は今後の社会にあたりまえになるであろう転職について聞いていきます。

先日『誰とでもどこででも働ける 最強の仕事術』を出版した山葉隆久さんは東北大学工学部を卒業したのち、日本のトップ企業である、ヤマハ、ロームをはじめとする6社に在籍し、プレイヤーから管理職、役員それぞれの階層で働いてきました。

誰とでもどこででも働ける 最強の仕事術

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その立ち位置から見える効率の良い働き方、そして、キャリアの築き方を今回は伺っていきたいと思います。

そうすることで、今後のわれわれのステージの上げ方、仕事をする意識の変化があるはずです。

山葉さんのプロフィールはこちら

山葉 隆久 (やまは たかひさ)

Yamaha Labo代表、経営支援アドバイザー、大阪大学産業科学研究所特任教授、光産業創成大学院大学招聘講師、工学博士。

1959年浜松市生まれ。ヤマハ創業家の子孫。

78年浜松北高等学校、82年東北大学工学部卒業。半導体エンジニアとして沖電気を経てヤマハに入社。

98年東北大学で工学博士号を取得。

99年ヤマハの半導体工場を買収したローム浜松法人に移り、2002年にローム本社に転籍。

09年、49歳でローム取締役、翌10年に常務取締役に昇任し、社長に次ぐロームNo.2に。

13年超円高による業績不振の責任を取り退任。

その後、半導体関連会社2社の取締役を経て、新日本無線常務執行役員を21年末退任。

22年独立し、実務型顧問として活動開始。

大阪大学では、日本の半導体産業復活に繋がるプロジェクトに参画。

仕事術の講演やシニアの働き方の研究を通して「働ける内は働きたい」を試行実践している。

新刊がでて、お忙しい中、インタビューに答えていただきありがとうございます!

早速ですが、東北大学卒業後まずどちらの会社に就職しましたか?

こちらこそありがとうございます。

就職の話の前にまず大学のことについてお話しさせてください。

東北大学を選んだのは、高校時代にお世話になった数学の先生から、「工学部なら東北大学が『研究第一主義』で著名な成果も多くて良いよ」という一言がきっかけでした。

専攻は化学でした。

公害が社会問題になっていて、有害物質を排出しない工場を作れたら社会に貢献できる。だから、プラント設計をイメージして、選びました。

ところが、産業のコメが鉄から半導体に変わると大学の講義で知って、半導体企業に進むことに変更しました。

ここで、半導体産業に入る人たちは電子工学専攻が主流でした。

私は電子工学専攻でなかったので、半導体の大手企業に入っても主流(研究開発部門が主流と思い込んでいました)にはなれないだろう。

それなら、中堅企業で少しでも主流になれる可能性を高めよう。その様な思いで中堅企業を希望しました。その条件下で、学校推薦を出せる会社が、沖電気工業(現在のOKI)でした。

大学の専門、そして世の中の移り変わりの二つを加味して、就職先を決めたのですね。

文系と理系ではキャリアの積み方が違うように思いますが、キーワードは「ロジカル」であるということのような気がします。 沖電気では就職時に思い描いていた部署で働けたのですか?

いえ、それがうまくいきませんでした。

OKIでは希望していた研究開発部門ではなくて、品質保証部門に配属されたのです。

ただ、その部門で成果を出す事に集中しようと思い直しました。やはり最初のキャリアを作ってくれた会社です。何とか成果を出そうと必死になりましたが、研究開発業務に携わりたい思いは消えなかったのです。

そんなとき、これはのちに知ることになったのですが、ヤマハが半導体事業の拡大を考えており、地元出身者(浜松北高出身か静岡大学工学部出身)でかつ半導体デバイスメーカーに勤めている者の中途採用を考えていたのです。

その一環でわたしに声が掛かりました。今の時代でいうヘッドハンティングなのでしょうか。仲介業者から自宅に封書が届いたのです。

わたしはその際、しっかりと研究開発業務に携われるのか確認をしました。

すると、ヤマハでの配属先がデジタルシステム研究所であり、研究開発業務に携われることが明らかになったのです。

それと、バブル直前期で住宅の価格が上がり始めており、実家に戻れば住宅購入の費用が掛からないのと、妻も浜松出身であったので、浜松の方が暮らしやすいと思ったのです。

研究開発業務がしたいという思いがヤマハからの封書が届く流れを作ったように思います。これだから、常に自分を磨き続けるということは必須ですね。

ただ、研究開発をしていたヤマハから転職をされました。そこには理由がありましたか?

所属していた半導体新工場がロームに買収されたためです。

本にも書きましたが、当時ヤマハは増収増益。現有工場が手狭になったため、新工場を建てることになったのですが、生産能力が現有工場で満たされたため、急転直下新工場は閉鎖されることになったのです。

いきなり、会社が無くなることになり茫然自失でしたが、先ほども述べた通り、その工場をロームが買収したのです。

こうしてローム浜松株式会社が設立されました。

わたしは当初からの想い「半導体の開発」を継続したくてローム移籍を決めました。

そして、こういった理不尽な運命にさらされたこともあり、そこからは開発業務により一層集中し、ローム社長賞金賞を4年で2回受賞しました。そして6年後に、副本部長昇進と京都本社赴任の辞令が出たのです。

そうでした!さきほどキャリアの形成がロジカルと言いましたが、かなり外的要因に影響をうけましたね。そこでのメンタルの切り替え、仕事の仕方の切り替えは大変だったかと思います。 具体的にはどうやって乗り切りましたか?

徹底的に無駄を省きました。

たとえば、実験施策の数です。やるまでもない実験、根拠の乏しい実験、個人の趣味程度の実験は削り、意味のあるものをチーム全員で決めるようにしました。

それまでは実験担当者の裁量にゆだねられていたのを俯瞰的に見れるよう全員で検討することにしたのです。

3つのグループごとに朝礼、夕礼、時に昼礼で次にすべきことと進捗をメンバーで共有したのです。ホワイトボードに書き出すようにしたので、リーダーの私はそれらをみて、コメントしたり議論したりすることができました。

そして実験のレポートを論文のように仕上げるのをやめて、結果・考察・次にやることに絞りました。

ただ、実はこれらはローム本社がやっていたことをまねたのです。

買収されたのだから買収された会社でやっているやり方をまねることで、その会社で求められる結果を出せるのではないかと考えました。

これ意外とできないんですよね。自分のいままでのキャリアにこだわってしまって新しい会社のやり方になじめない。そういったケースを私も何回も見てきましたし、現に私も四敗したことがあります。

コツはその会社で成果を出している人を観察することです。スマートな姿勢、余裕のある感じのする人がどういった仕事の進め方をしているのか徹底して参考にすることです。

わたしはこういったロームの良いところをほぼすべて吸収し実践しました。それらが創業者の目に留まり、その後役員も経験しました。

大企業の役員とか全然想像できないです。。。ただ、そんなロームでなぜ退職をされたのでしょう。

対外的には退任の形が取られましたが、実態は解任だと思います。

ある日社長から呼び出されて、「次の役員候補に入っていない。明日から出社に及ばず」というようなことを言い渡されました。

当時の社長も言いづらそうにしており、つらそうな顔が印象に残っています。

80円を超える超円高による業績不振、創業以来初の営業赤字の責任を取るということだったと思います。

成績が振るわなかったために、解任とはアメリカ的な感じがします。なかなか経験することのないことですよね。

はい。そう思います。しんどかったですが、自分自身を振り返る良い機会でした。

このあと、サムコ、フェミニックコンダクター、新日本無線とキャリアをそれぞれ積んで、今は独立をしております。

どこの転職の際にも、自分にやれること、そして前向きな行動ができるかどうかを考え、移ってきました。

ここでさまざまな局面をみてきた、そして解決してきた山葉さんにお伺いしたいことがあります。それはずばり、各社で培った印象的な仕事術です。

印象に残ったものは3つあります。

  • 初日に半分やってしまう

上司から仕事の指示を受けた時、上司と会話して次にする事を決めた時、その日の内におよその目途を立てられる位まで進めてしまうことです。そこで、上司に報告をして、お互いの認識の差異がない事を確認し、両者の思いが合っていれば、そのまま進めるのです。ただ、両者の認識が合っていない事ももちろんあります。

上司の指示の仕方が悪かったか、部下が誤った理解をしたかです。その時は修正してやり直す。しかし全部仕上げてからの報告ではない分、遅延や無駄な作業は最小に食い止められます。「なんだそんなことか」と思ったかもしれませんが、まわりを見まわしてください。きっとほとんどの方が締め切り2日から3日前になって着手しているのではないでしょうか?

  • 会議をしない

この場合の会議は意思決定のための会議のことです。たとえば「○○という施策をやるべきかどうか」などのような会議です。関係者を多く集めて会議を企画すると、開催時間の調整をしたり、場所の予約をしたり、それら準備の手間が発生します。何より直ぐに始められません。実は大勢集めても、決めるのは、主務者と上司。

それなら、主務者と上司で決めて、関係者には周知する、それで十分なのです。

「本当か?」と思ったのであれば、明日からやってみてください。実際結果にそこまで違いは生まれないはずです。

3.会計スキル

  直接原価計算による管理会計は衝撃的でした。直接原価計算の優位点は本書で示したとおりです。

  最初の2社では、私の意識が低くて、会計は良く分からないことで済ましていました。

  3社目のロームで直接原価計算の管理会計を習得しました。6社目の新日本無線が管理会計に全部原価計算を使っていて、現場の社員がコストを認識できていないことが良く分かったのです。ここで、直接原価計算の威力を実感しました。新日本無線にも、直接原価計算を採り入れたいメンバーが居まして、彼らと導入を試みました。それが、最低販売価格の決定という成果に結びつき、半年で営業利益率1%増加の成果を上げることにつながりました。

3つすごくインパクトがありますね! 会計。。。めっちゃ苦手です(笑)

 そうですよね。ほとんどの方はそう言います。なので、そのあたりをわかりやすく『誰とでもどこででも働ける 最強の仕事術』に書きました。

 こういった感覚をもった人、そして仕事術をマスターしている人は私が今まで在籍してきた6社の中にいました。それらを本書では「できる人」としていますが、これらのスキルは意識して取り入れていけば必ず身に付きます。

 私のキャリアを見ていただいたら少し実感できるかと思いますが、「明日何がおこるか」本当にわかりません。会社が無くなるかもしれません、災害が起こるかもしれません、感染症が蔓延するかもしれません、左遷させられるかもしれません、やりたい仕事ができないかもしれません。いろんなケースに対応できるのが、誰とでも、どこででも働けるスキルを身に付けることなのです。

 そして、スキルを身に付ける過程で自分の使命感、仕事への情念が磨かれていきます。

 ぜひ明日から仕事術を見直してみてください。

山葉さん、ありがとうございました! 次回はなぜ出版をしたのか聞いていきたいと思います。 よろしくお願いします。

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