モチベーション

40年間、想い続けた生き方・起業を実現した

今回から複数回にわたって『定年起業を始めるならこの1冊! 定年ひとり起業』『定年後のお金の不安を解消するならこの1冊!定年ひとり起業マネー編』の著者大杉潤さんにお話を伺っていきます。

大杉潤さんのプロフィールは下記になります。

大杉 潤 (おおすぎ じゅん)

1958年東京都生まれ。フリーの研修講師、経営コンサルタント、ビジネス書作家。
早稲田大学政治経済学部を卒業、日本興業銀行に22年間勤務したのち東京都に転職して新銀行東京の創業メンバーに。人材関連会社、グローバル製造業の人事、経営企画の責任者を経て、2015年に独立起業。

年間300冊以上のビジネス書を新入社員時代から39年間読み続け累計1万冊以上を読破して、約2,500冊の書評をブログに書いて公開している。
静岡放送SBSラジオ『IPPO』に毎月レギュラー出演のほか、NHK『あしたも晴れ!人生レシピ』、テレビ朝日『スーパーJチャンネル』に出演。
妻が社長の合同会社ノマド&ブランディング・チーフコンサルタント、株式会社HRインスティテュート・アライアンスパートナー、リ・カレント株式会社・プロフェッショナルパートナー、株式会社カインドウェア顧問。

著書に『入社3年目までの仕事の悩みに、ビジネス書10000冊から答えを見つけました』(キノブックス)、『定年後不安 人生100年時代の生き方』(角川新書)、
『銀行員転職マニュアル 大失業時代に生き残る銀行員の「3つの武器」を磨け』(きずな出版)『定年起業を始めるならこの1冊! 定年ひとり起業』『定年後のお金の不安を解消するならこの1冊!定年ひとり起業マネー編』

WEBサイト http://jun-ohsugi.com/

なぜ、今回大杉さんにインタビューしたか、それは自分の父親のことにも絡みます。

父親は大手新聞社を退職した後、体調が悪かった時期もあり、再就職をしたりせず、そのまま老後の生活に入ってしまいました。しかし、何も仕事をせず社会との接点もなく、過ごす日々を重ねることで、活力がなく、あまり楽しくなさそうに過ごしていました。

大杉さんの『定年後不安』(KADOKAWA)を読んだときに、「これこそまさに10年前に父親に渡したかった本」だと思ったと同時に、ぼくのような思いを抱える若いビジネスパーソンにも読んでもらいたかったので、企画のオファーを出したのです。

その結果実現したのが、『定年起業を始めるならこの1冊! 定年ひとり起業』という本の出版でした。今回から複数回にわたって、「シニアになって起業することとは?」をテーマに話を伺っていきます。

起業の原点は40年前にあり

私が起業した原点は、遠く40年前にさかのぼり、早稲田の学生だった頃にマスコミ志望として就職活動した頃の思いにあります。

早稲田大学政治経済学部の学生はマスコミ志望者が多くて、私もゼミの仲間とともに、新聞記者になるかテレビ局で報道の特集番組を制作するプロデューサーになることを目指していました。

ー大杉さんのご経歴の金融とは全然違うジャンルですね

何となく、自由な働き方で好きな記事を書いたり、自分が作りたい番組を作ったりして、世の中に自らの意見を発信できるイメージがあったからです。

ーなるほど。確かにジャンルは違いますが、編集者も結構自由です

真剣に目指していて、当時、早稲田でマスコミを目指す学生の間では有名だった高田馬場にある「早稲田マスコミセミナー」というマスコミ人材養成塾というか専門予備校に大学3年から通っていました。

―早稲田大学と言えば、マスコミというイメージがあります

マスコミ各社の筆記試験と同じ出題形式の一般常識・英語・作文(エッセイ)という3科目の模擬試験を毎回受けて、その解説をしてくれるマスコミ志望の学生向け対策予備校です。

―筆記が難しいですからね、マスコミは

この早稲田マスコミセミナー模擬試験の点数上位者は名前が掲載される仕組みになっていて、私は毎回名前が出て、何回かトップも取っていました。

―素晴らしいです。僕は筆記がダメだったので笑

1年前に入学してマスコミ各社に内定・入社した先輩の体験談を聞くイベントがあり、「筆記試験の作文がとにかく大事だけれども、面接試験の対策もしっかりしておいた方がいい」というアドバイスがありました。

 一般企業の入社試験は面接のウエイトが大半で、当時は4年生時の10月1日から1週間くらいで各社の面接が集中的に行われて内定というスケジュールでした。

それに対して、マスコミだけは新聞社もテレビ局も11月1日~3日くらいにまず筆記試験があり、そのあと試験合格者に対して面接で最終的に絞り込んで内定を出すというスケジュール。

一般企業に内定が決まって11月には健康診断を受けるなど、悠々としている学生が殆どという中で、マスコミ志望者だけは筆記試験に向けて勉強を続けるという過酷な環境に置かれるのです。

―本気度を見ていたのでしょうね…

そこで筆記試験の勉強を続けながら、先輩のアドバイスをもとに、「面接対策」として10月に一般企業の採用面接を受けることにしました。どうせなら難しい会社の方が練習になると思い、当時人気のあった銀行、証券など金融機関を中心に面接を受けました。普段から一般常識の勉強で日経新聞を熟読し、金融関係の記事も意味が分かるくらい読み込んでいたので、面接はトントン拍子に進んで何社も内定まで行ってしまいました。その中に日本興業銀行もあって、両親がビックリしてしまったのです。

「興銀を蹴るなんて聞いたことがない」とか「民間企業では一番、給料が高くて福利厚生が充実している会社」などと言われていたのをどこかで両親も耳にしていたらしいのです。

そこでふっと魔が差したというか、「一度くらい親孝行をしてもいいかな」という気持ちが湧いてきて、マスコミの筆記試験に向かう意欲がなくなってしまい、11月1日は大手新聞社の筆記試験ではなく、興銀の健康診断に行くことになり、そのまま入行(銀行の場合、入社ではなく入行と言います)となりました。

―大杉さんが、その時メディアに来なかったというのも何か意味があるのかもしれませんね…  

もう40年も前になる就職活動のエピソードを詳しく述べてきたのは、今振り返ると「私が7年前、57歳で独立起業した原点はここにあるのではないか」と思うからです。

社会人としてのスタートは銀行員という形で切ったのですが、いつかは「ペンで食べていくプロに」という思いを、つねに持ち続けていた気がします。

―40年間の想いだったんですね。大杉さんの文章にはいつもロジカルとパッションを感じます

勉強するには大手銀行というのはとても恵まれた環境で、給料も高いし、優秀な人材も多くいて、「修行の場」と考えると様々な経験ができて充実していました。とくに興銀という銀行は「業を興す」とか「天下国家を論じる」という自由でスケールの大きな明るい雰囲気があって、とても居心地のいい職場でした。

銀行員生活の22年間は本当に楽しく充実していて、多くのことを学び、体験できたので興銀に入ったことはまったく後悔していません。とくに良かったのは、周囲の先輩、同僚が皆、勉強熱心でとにかく本をたくさん読むので、大きな刺激を受けたことです。

―今の読書量、そしてそれをアウトプットし続けるという事へのつながりになっていますね

はい。私もすぐに影響されて、新入社員時代から年間300冊のビジネス書を読み、そこに書いてあることを日々、実際の仕事で実践してみるという生活を送っていました。

―まぁ、何度も聞いていますが、業界にいる我々よりも読んでいるんですから、すさまじい数字です…

本を読むことが楽しく、結果が出るとますますビジネス書の魅力に取りつかれ、趣味のようになって読みまくりました。

 最初は金融、会計や経済関係の本が中心でしたが、しだいにキャリア開発、働き方、ライフスタイル、人生設計などのビジネス書に興味を持ち、関心の幅が拡がっていきます。そうした中で、「いずれ人生100年時代が来ること」、「長く働き続けて生涯現役の人生が幸せな生き方になること」、「人生の勝負は後半にあること」などに確信を持つに至ります。まだ30代の頃に、大橋巨泉さんのように好きな場所で好きな仕事をするライフスタイルに憧れを持ち、田中真澄さんのように会社員から独立起業して「生涯現役」の働き方に移行する生き方に強く共感しました。

―その頃からすでに老後を意識していたんですね! 逆算力がすごいです。これって今の40代以上のビジネスパーソンには必須のスキルだと思います。定年後というのが日本でも不安定であることが見え始めました。今こそ逆算力が試されている気がしますね。

そうなんです。先を見ていくうちに、いつか自分も会社員でない「生涯現役」の生き方をしたいと思うようになったのです。そこからは40代にかけてキャリア開発や働き方に関するビジネス書は欠かさず読もうというマインドになり、転職や独立起業を視野に入れた勉強を本格的に開始しました。

 ちょうどその頃、バブル経済が崩壊して銀行の経営は厳しくなり、最後の銀行員生活7年間は不良債権処理の仕事に忙殺されました。どちらかと言えば後ろ向きの仕事で、且つハードな毎日が続き、理不尽な評価などもあって、前向きな仕事を求める気持ちが強くなってきました。

―わかります

第一勧業銀行、富士銀行との三行統合で「みずほ」になって企業文化が大きく変わったことが決定打になり、独立起業を強く意識し始めました。

ほんとうはもっと早く起業して、定年のない働き方に移行したかったのですが、「家族の反対」という高い壁があり、なかなか超えることができませんでした。「夫婦二人だけの生活なら何とかなる」と思い切って決断できたかも知れないのですが、「子どもの教育費だけは何としても確保しておかなくてはいけない」という思いが強く、起業に踏み切れなかったのです。

―まずは、起業ではなく、転職をしたのですか?

はい、45歳になるタイミングで転職に踏み出しました。

家族はもちろん反対でしたが、「1日も会社勤務の空白を作らないこと」と「年収をダウンさせないこと」の二つの条件をクリアするなら賛成するとの感触を得て、運よく転職が実現し、東京都で新しい銀行(新銀行東京)を立ち上げるプロジェクトの創業メンバーになりました。

ゼロからイチをつくるという経験ができることと、何と言っても東京都という大きな組織と信用をバックに「金融ベンチャーの立ち上げ」という起業に近い仕事ができることに魅力を感じました。

しかも資金繰りに困っている中小企業の支援という社会的意義のある前向きな仕事で、ここでの4年間の経験はその後のキャリアおよび起業するときにとても役に立ちました。その後、49歳で人材会社に2回目の転職、51歳で地方に本社があるメーカーに3回目の転職をしたのですが、その時もほんとうは独立起業したかったのです。いずれのタイミングでも「子どもの教育費がまだまだかかること」がネックとなり、起業をする決断と勇気が持てませんでした。

2回目も3回目も最初の転職の時と同じで、3月31日退職、翌日4月1日入社で、1日も会社勤務のブランクをつくらない転職でした。そのくらい家族の反対は強く、私も臆病で慎重だったのです。起業してしばらく経った頃に初めて私と出会った方は、「大杉さんはもともと前向きで楽観的」と思うらしく、何度も起業しようとしてはできなかったと話すと驚かれます。

―ただ、ぼくはそれだけの想いを秘めてきた大杉さんだからこそ、本を複数冊も出版し、多くの人に生き方を変えていると思いますけどね! 

ありがとうございます。

最後の勤務先となった4社目の会社は地方に本社があったので単身赴任となっていて、5年10カ月勤務したのですが、家庭の事情もあって単身赴任の継続が難しくなり、東京へ戻ることになりました。

57歳になっていて転職先を見つけるのが困難だったことと、長男は独立して社会人に、長女は大学生になってあと2年半で卒業ということで、教育費のメドがほぼ立って、念願の「独立起業」の条件が整いました。

それでも、家族は3人(妻・長男・長女)とも「食べていける保証がない」ということで起業には大反対。でも今度ばかりは私も覚悟を決め、「転職先が見つからないので自分でやるしかない」と説得。

最後はビジネス書から学んだ「妻が社長の合同会社」を設立して夫婦の共同事業として起業することを提案して、何とか起業することについて家族の同意を得ることができました。

―大杉さんがそこで起業したから『定年ひとり起業』という概念が本となり、多くのシニアを元気づけていると思います。ありがたいことでした! それだけ考えてきた起業ですがやはり勝算があったのですか?

いえ、最初から勝算があったわけではもちろんなく、貯金もあまりなくて、「やってみなければ食べていけるかどうかわからない」という状態での見切り発車です。

唯一、起業するなら「いずれはペン一本で食べていきたい」という執筆業に対する思いを強く持っていました。その原点は早稲田大学でゼミ仲間と切磋琢磨しながらジャーナリストを目指していた頃の「原点の思い」があったからです。

起業する2年前からブログを立ち上げて毎日、ビジネス書の書評という形で情報発信するなど自分なりに起業準備をしてきました。そして、「ビジネス書の出版」をまずは目指して、それを自らの事業を広げていく柱にしようと目標を立てました。

しかしながら、「副業・兼業の禁止」という会社にずっと勤務していたので、自分でビジネスをした経験はまったくなく、ゼロからのスタートです。実際に、起業してから2年間は試行錯誤の連続で、何とか食べていけるという苦しい状況が続きました。

私の場合は、起業3年目にビジネスモデルを転換してからやっと事業が軌道に乗ってきたのですが、そのあたりは次回以降でお話ししていきます。

―大杉さんのようなクレバーな方が、勝算が全くなかったというのは本当に驚きですし、逆に励みになる部分でもありますね。準備ができる環境なら、準備をしておくに越したことはないでしょう。副業・兼業を認めることって本当に社会的にもっと国を挙げて広げていくべきだと思います。起業してから複数年は食べられない状況があるということを友人などからも聞いたりします。確かにメインの仕事をおろそかにしたり、商売敵になったりするようなことは困るかもしれませんが、副業・兼業を一つのキャリアとして認めバックアップすることで、起業家もどんどん生まれてくると思います。長くなってしまいました。すみません。次回以降起業3年目以降の大杉さんのお話を掘り下げていきたいと思います。

きっと多くのシニア世代の希望を与える話になると思います。

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