前回、定年前後になってひとり起業をした大杉潤さんにお話を伺いました。
なぜ、起業しようと思ったのかというテーマでしたが、新卒の時に思い描いた「作家になる」という夢を実現させたかったというところに共感しました。
私 三田智朗も、新卒の時に編集者になりたいと思い、就活をしましたが、ことごとく落ちました。準備不足というよりは、才能の限界を感じました。
ただ、本にまつわる仕事は続けたいと思い、書店営業や取次営業などを行い、知識・経験・人脈を築くということを念頭に置いてやってきました。
もうその夢をあきらめかけたころ2020年になって編集部へ異動の内示があり、今に至るという流れです。大杉さんはそれを60前後で実現し、さらに好きになっていた、「ビジネス書」の精読というスキルと融合し、ビジネス書作家になる夢を実現されました。
担当編集としては、ここから大杉さんのロードが始まっていくことを考えると楽しみですし、いつか自分の本で10万部を超えて、多くの方々にもっと希望を届けてほしいと感じています。
さて、長くなりました。それでは今回、定年ひとり起業をされたその後を深堀していきましょう。
定年ひとり起業の実際
前回のインタビューでお話しした通り、57歳で起業してから2年間は試行錯誤の連続で、なかなか収入が安定しない状態が続きました。ブログは毎日更新していて、毎日1冊、ビジネス書を読んで、その書評をブログ記事にして公開するという繰り返しです。起業した時点で、年間300冊のビジネス書を33年間以上、読み続けていたので、「累計1万冊のビジネス書を読破」というのが、私のブランディングでした。
―業界人のわれわれでもできないので、相当なブランディング効果ですね笑
それを武器に、銀行員時代に身につけた「決算書を読み解いて経営者にアドバイスする」というスキルを使って経営コンサルティングの仕事を取ってくるのが最初の事業です。
―なるほど、そのときは事業の様子はどうだったんですか?
最後に勤務したメーカーの顧問として、1年契約でコンサルティングをしたり、興銀時代の人脈で興銀OBの会社を手伝ったり、という仕事で何とか食いつないでいくという綱渡りの経営です。
売上を増やそうとすれば契約する顧問先の数を増やすしかなく、月曜から金曜までフルタイムでコンサルティングの仕事を入れると、通勤する場所はそれぞれの顧問先の会社になって毎日変わるものの、会社員時代とほとんど同じ働き方になっていると、ある時、気がつきました。
―私なら、「食えてればそれでいいや」となってそうです笑
三田さんも、60歳周辺になったらわかりますよ。30代の時とは価値観がかわってきますから。そして、「自分は何のために独立起業したのだろうか?」という疑問がわいてきたのです。
いろいろと助けてくれる人もいて、複数の東証1部上場企業とのコンサルティング契約もできて、やりがいも感じていたのですが、会社員の時以上に「自分の時間」がなくなってしまったのです。このままでは、自分自身のスキルのブラッシュアップもできないし、先行きの展望も見えてこない。何か突破口はないかと考えて、いろいろと思案した結果、2つの方針を定めました。起業して2年目のことです。
―それってでも通常の起業にも通じることですよね。やりたいことがあるから独立したということは、いつも忘れてはいけないことなのでしょうね。
そう思いますよ。
私の方針をお話します。
1つは、起業の原点であった「ペンで食べていく」という思いを実現させるために、ビジネス書の商業出版を目指すこと。具体的には、出版企画書の書き方を学ぶセミナーに参加、そこで案内された「出版企画書の講座」に応募しました。講座に参加するにも書類選考があり、プロフィールや自分なりに作成した「出版企画書」を提出するという選考でしたが、運よく合格の連絡が来て、丸1日を費やす5人限定の「出版企画書の講座」に参加して、商業出版のイロハを初めて学びました。
―つまり、自己投資したんですね!
そうです。そして、やってよかったです。
ビジネス書は30年以上にわたって1万冊以上を読んできた私ですが、本がどのようにして出版されるのか、どういう人が商業出版の著者になれるのかを、ほとんど知らなかったので、この講座はとても勉強になりました。結果的に、当時一緒に出版企画書の書き方を学んだ講座の同期5人は全員が商業出版を実現して、同講座始まって以来の快挙だったそうです。
―素敵なつながりですね
その同期の著者仲間は、今もFacebookなどで交流を続けていて、ほんとうに幸運でした。お互いに切磋琢磨しながら出版を目指し、それぞれのデビュー作の出版記念パーティーには応援に駆けつけるという大切な起業家仲間です。
私のデビュー作は、起業して2年目の2016年夏に、キノブックスという木下工務店グループの出版社から声がかかり、「入社して3年以内に会社を辞めてしまう若手会社員が多いので、そうした若手社員の悩みをビジネス書で解決する方法を書いてほしい」というオファーをいただいたのがきっかけです。
「とにかくどんなテーマでもいいからデビュー作を出版したい」というのが私の思いでしたので、出版社の要望をすべて受け入れて、無我夢中で執筆に邁進しました。編集者から何度も原稿にダメ出しをもらったり、最終的に書籍になった分量の1.5倍の原稿を書かされたりして、苦難の連続の執筆でした。
―大杉さんの原稿にダメ出しですか汗。あんなにいい文章なのに。。。
あはは。ありがとうございます!
原稿の順番も、ゲラになるまで著者自身が分からず、編集者の神業でピースをはめていくというような感じで本が出来上がったのです。この時の苦労があるので今の自分があると思っていて、デビュー作を世に出してくれた出版社と編集者には心から感謝の気持ちでいっぱいです。
―デビュー作は感慨深いでしょうね
また、ゲラの最終チェックは半日しか時間がなくて、数十年振りに完全な徹夜で校正作業を行いました。こうした紆余曲折の末に、何とか起業3年目の2017年2月に、『入社3年目までの仕事の悩みに、ビジネス書10000冊から答えを見つけました』という本がキノブックスから出版されました。この本はデビュー作ということもあり、私の思いがいっぱい詰まっています。
出版記念パーティーは、表参道のイタリアンレストランを貸し切って開催したのですが、200名以上の方々に参加いただき、盛大にお祝いをしてもらいました。書店に自分が書いた本が並んでいる瞬間を見た時と、出版記念パーティーで多くの起業家仲間、著者仲間にお祝いや応援の言葉をいただいたときに、「起業してほんとうに良かった」と感じました。
その後、このデビュー作は月間雑誌のビジネス書特集で、今年のビジネス書の良書100選に選ばれて掲載されたり、地方の図書館で若手社会人がよむべき10冊に選ばれたりして、高く評価いただきました。また、様々な読者や新入社員のご両親から「わが子にぜひ本をプレゼントしたい」などの声を多数、いただきました。
この『入社3年目までの仕事の悩みに、ビジネス書10000冊から答えを見つけました』(キノブックス)を出版してから半年後に、天下のKADOKAWAから角川新書という一流レーベルでの出版オファーをいただきます。
―『定年後不安』ですね!
2018年4月に角川新書として『定年後不安 人生100年時代の生き方』が出版され、大反響を呼び起こし、私のビジネスが飛躍する要因となりましたが、その詳細は後ほどお話しします。
―そうでした。2つ目の方針方針教えてください
起業3年目に立てた2つめの方針は、研修事業への参入です。コンサルティング事業だけでは、どうしても会社員としての働き方に近いライフスタイルになってしまうことを何としても変えなければという危機感があり、新規事業を模索していたのです。
―そこで研修事業だったと
もちろん、ビジネス書の出版という執筆業で安定的に稼げるようになればいいのですが、すぐにそのレベルに到達するのは難しいということは1冊目を出版してみてよくわかりました。
「それなら何か別の事業はないか」と考えた末に出てきた結論が研修事業、とくに企業研修でした。
―大杉さんの分析力ははやさとロジカルがあわさってます
そこで、興銀時代のOB人脈を頼って、研修会社をいくつか紹介してもらい、「研修講師」としての登録や提携の提案をして回ったのです。ほんとうにラッキーなことに、「研修講師を発掘したい」というタイミングだった会社が数社あって、登録講師となったり、パートナー契約を締結していただいたりして、実際に登壇する機会を頂戴することができたのです。
―ひとに頼る、人脈を築くって本当に大切ですね! しっかりとはたらいてきた大杉さんだからこそ、助けてくれる人がいたと思いますし、そう考えると今真剣に働くことは大切ですね!
今、本当にね、やったほうがいいです。得るものは大きいですよ!
ただそれも、もちろん最初からすべてうまくいったわけではありません。私が行った大きな決断は、「とにかく日程を空けて、声がかかればいつでも登壇できる状態にしておくこと」です。
経営コンサルティングの顧問先の数を減らし、最終的には「研修登壇が入っていない日に来てくれればいい」と言ってくれた1社だけに絞り込みました。
―研修登壇を増やし、コンサルティングを減らしていくことで、バランスをとったんですね
ただ、当然ながら、大きく売上が落ち込みます。空いた日にすぐに研修の仕事が入るわけではありませんから。そこからは、コンサルの仕事はないけれども研修の仕事も入らないという日が続くのです。
毎月の数字を見ながら顧問税理士にも相談しましたが、「まあ何とも言えませんが、ここが決断のしどころですね」と言われ、腹をくくりました。日程を空けておかなければ当然、研修の仕事は受けられません。あとはいただいた数少ない研修登壇の仕事に、誠心誠意、全力で取り組むことで信頼を積み重ね、リピートのお仕事をいただくしかないのです。少しずつ、研修講師としての実績を積み重ね、ありがたいことに担当した研修について高い評価をいただくようになってきました。
―漢の決断って感じがしますね。ただ、誰でもそうだと思うのですが、一心不乱にやる時って必要ですし、追い込まれないとやれないんですよね。
私の研修の特徴は、研修テーマに役立つ「ビジネス書の紹介」です。研修の時間だけでは伝えきれないことを、研修後に受講者にビジネス書を読んでもらうことで、研修の効果を何倍にも上げて、実際の業務に活かしてもらうことができるのです。
その効果が口コミでも広がっていって、研修の中味や研修講師としての私の評価が少しずつ上がり始めました。「これまで様々な研修を受けてきたけど、最高の研修でした」とか、「今回の研修で私の人生が変わりました」といった嬉しい感想を研修アンケートに書いていただくことが多くなり、研修を実施した企業や提携している研修会社からも高く評価していただけるようになりました。
そうすると、リピートで研修の仕事をいただけるようになります。「コンサルの仕事を減らして研修の日程を確保しておく」という事業戦略がようやく実を結び、ようやく売上が伸びて安定してきたのです。
―研修をやるなら、リピートを目指して、努力するが大事ですね
今から振り返ると、起業3年目に立てた2つの方針、「出版を目指す」と「コンサルティングから研修へ」という決断が実を結んで、4年目以降の飛躍につながったのだと思います。4年目の2018年は4月に『定年後不安 人生100年時代の生き方』(角川新書)を出版し、学生時代から通い詰めていた新宿の紀伊国屋書店本店1階の入口すぐの目立つスペースで大きく展開されるなど、大きな反響を得られました。
この本は最初から「研修プログラム」にすることを念頭に置いて執筆しており、併せて「50代向けシニアキャリア研修」の独自プログラムも開発しました。また、その年の年末にはテレビ朝日『スーパーJチャンネル』に生まれて初めて、テレビ生出演するという幸運にも恵まれました。『定年後不安 人生100年時代の生き方』(角川新書)は、「お金」「孤独」「健康」という定年後3大不安をいっぺんに解決する方法を書いたものです。結論は「長く働き続ける」ということ。85歳までは現役で仕事をする、できれば「生涯現役で働く」というライフスタイルです。
―私も読みましたよ! 生涯現役いいですね。若い人も憧れてると思うので、シニアだけでなくて、若手も買っていると思いますよ。他にもテレビでてませんでしたか?
翌2019年4月に、今度はNHKに初出演することになりました。毎週金曜夜8時から2チャンネル(Eテレ)で放送されている『あしたも晴れ! 人生レシピ』という番組で、女優の賀来千香子さんが司会を務めています。とても温かい雰囲気のいい番組で、前年のテレビ朝日出演を見てのオファーだったようです。
2015年に起業して以降、かなりの苦労をしてきましたが、この後は順調に事業が伸びていって、5年目の2019年まで増収増益の決算が続き、会社員時代を大きく上回る過去最高益になりました。2020年初めからの新型コロナ感染症の拡大で状況は一変し、研修事業の売上がゼロになる月が続くなど、波乱万丈となるのですが、そのへんはまた、次回にお話しします。
この当時を振り返って、起業した場合につくづく大切だと思うことは、「収入の複線化」、すなわち、売上を上げる「収入源」を複数、持っておくことです。「フリーランスは収入が安定しない」、「明日の仕事はどうなるかわからない」というのが最大の弱点です。そのために、ひとつだけの事業に大きく依存しないというのが生き残りのポイントかもしれません。
―ありがとうございました! 次はいよいよ『定年ひとり起業』の話ですね!